移動日

見送る方から、見送られる方へ

「nice to meet you」

お互いに出会えたことを喜びながら言葉を交わしました。


沼で見る朝日


木陰の特別な場所。主に現地の人が使用されていました。マナとヤーがご飯を食べたり、息子の避暑地であったり。


トイレとシャワー室


トイレ。タイの伝統的な様式。ホースの水でお尻を洗うと知るまでは、桶で汲んだ水でお尻を流しながら手で綺麗にしていました。

決して使い勝手がいいとは言えず、考えこまれた日本のトイレの良さを再確認しました。

トイレに関してだけでなく、ペットボトルから家屋まで、日本製品の使い勝手の良さや、空間の使い方、職人の知恵や開発努力に感心します。やり過ぎなところも多々ありますが。


キッチンからコミュニティの奥へと続く中央道路


キッチンとゲストハウス。三食ここで、ボランティア仲間と食事を囲みました。


シャワールーム。シャワーは水のみです。


フグリッドを可能にするパネル。洗濯機の使用や電気製品への充電は日中のみという制約があります。


ボランティア用テント


マナとヤー。どうしても写真に残したかった二人。

明るくひょうきんで優しい彼らから多くのことを学びました。

生コンから手を守るには、レモンかトマトが良いという知恵も。

空気銃を自作し、夜は狩に出かけ、翌日の食卓に並ぶこともありました。

美味しい木の実や食べられる花をさらっと教えてくれたり。
パーマカルチャーとは生き様だと思っています。

目指すものでも、条件が揃ったらなれるものでもなく、既にあるもの。

イマココの延長線上にしかなく、今がパーマカルチャーでなければこの先にもない。

レヴィ=ストロースの言った野生の思考と相似し、茶道の精神に通じる。

一粒の米に感謝し無駄にせず、靴を脱いだらきちんと揃える、そんな日々の小さな行いの積み重ねの中にあるもの。
お皿に米粒が残っていたり、食べ残しを平気でしたり、と食べ物を粗末にすることはパーマカルチャーの精神に反すると思う。

家畜の餌になるからとか、コンポストに入れたらいい、とかそういう姿勢は、近代的個人主義と近代的合理主義といった、目的のために消費される今、と表裏一体であるように見える。

言行一致、致良知、藤樹学や中江藤樹が学んだ陽明学は茶道(茶教)と同一線上にあり、そこにパーマカルチャーもある。

パーマカルチャーの源流は日本と言われている。パーマカルチャーという造語を作ったビル・モリソンが影響を受けたのが自然農の祖福岡正信で、福岡氏の視点の柱が無という言葉。

無というと、禅を連想するが、藁一本の革命を読んだ限りだと、知識層向けだった禅よりも茶道の心の方が福岡氏と同一線上にあると思っていた。

今回を機に、福岡氏の言う無とはなにか、本を読もうと思います。
パッキングと、ボランティア仲間へのさよならを済ませ、

ディレクター一家にバス停まで車で送ってもらい、次の目的地を目指しました。